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夏コミ(c90)新刊 制服深層学習

2016.08.14

$file1 (新刊表紙)

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新刊を用意することができました!タイトルは「制服深層学習」。内容は最近大注目の人工知能、それを支える基盤技術である機械学習について紹介します。タイトルの深層学習というのはディーブラーニングとも呼ばれ、機械学習の中でもビッグデータ時代に即したアルゴリズムの一つです。画像認識において本の数年前に革命的な進歩が起きてからというものの大ブームとなっています。

この本では機械学習について私が興味を持っているところ、もっとも重要だと思っているところだけをつまみ食いした本になっています。

「制服深層学習」 300円
 B5サイズ 20ページ(本文16p)

 コミケット90(日曜日)東ホール M-07a Ko-wa's Innまで。
書店での委託販売も計画しております。そのときはまた告知しますね。

コミケットには既刊も持って行きますのでぜひ。下におしながきを示しておきます。
(またまた恋さんに作っていただきました!忙しいのにありがとう)

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00:11

更新

2016.05.26

すっかりtwitterがインフラになってしまって、自分のwebページにどのような情報を書くのか忘れてしまった。

同人サークルの公式webページなのだと割りきって、新刊情報、イベント参加予定、過去の状況などをスタティックに残すのが良いのだろうと考えて、最近はそのような投稿ばかりだけれど、そうであるのなら、もうちょっと違う表現でも良い気がする。
初めて訪れた人、半年に一回訪れるような人を対象として情報を整理して書いておくという。
自分が作家であれば、そういったポートフォリオというのでしたっけ、プロフィール、最新情報、出版物などを載せておく自己紹介のワンセット。そういうwebが有意義な気もするけれど、そのようなアクティブな作家というわけでもない。webサイト運営者として、趣味の絵描きとしてのビジョンがない。

かつてのブログや日記のように思いを自由に書くというのも一つのスタイルだろう。かといってそれがtwitterの連投と比べて何が良いのかというと、ちょっと良くわからない。
ブログや日記を楽しみに見る層というのも一定数いるみたいだけれど、言うなればネット文学のようなもので、そのスタイルを楽しんでいるように思える。
そもそも自分の言いたいことなんて、140文字の一段落に圧縮しても劣化しない。それが数個の段落(連投)もあれば十分なのだ。
ブログ記事形式として一つの記事としてまとまっているほうが、検索サイトに認知されやすいという効果があるかもしれないけれど、連投をまとめるサイトをうまく使ったり、あるいはそもそも検索サービス側が、一連のSNS投稿を一つの情報単位にまとめて検索結果に提示してくれるんじゃないかとすら思う。

もちろん、長い文章を書くことは自分のためであって、それは記録として残すことではなくて、いつか書きたいことが思いついた時に自由に楽に掛けるように、毎日走りこみをするためのようなもなのだ。毎日1000文字を書くマラソン。それならチラシの裏なりデスクトップのワードファイルにでも書いておけば十分だよね、ということになってしまう。

08:31

c89 冬コミのお知らせ

2015.12.29

冬コミは三日目、31日の東地区“M”ブロック-35bです。
既刊あるだけ持ってきます!!(´;ω;`)

12:32

書店委託:幾何学、ベーカリースケッチ

2015.10.01

夏コミで出版した新刊二冊の書店委託がはじまりました。

書店委託はイベントに本を準備するのとは違って、締め切り効果もなくてついつい遅くなりがちです。すいません。

販売が始まるとSNSやblogで取り上げてくれたりするおかげで、反応は見えるようになってきました。以前に比べれば委託販売する楽しみというか手応えは得やすくなった気がします。なんとかポジティブフィードバックを回していきたいです。

●制服の幾何学
とら
http://www.toranoana.jp/mailorder/article/04/0030/34/09/040030340997.html
メロン
https://www.melonbooks.co.jp/detail/detail.php?product_id=138343
ZIN
http://shop.comiczin.jp/products/detail.php?product_id=25610
アキバblog記事
http://blog.livedoor.jp/geek/archives/51504944.html

●ふっくらやわらか素敵なベーカリー探訪
とら
http://www.toranoana.jp/mailorder/article/04/0030/34/09/040030340999.html?rec=circle
メロン
https://www.melonbooks.co.jp/detail/detail.php?product_id=138342
ZIN
http://shop.comiczin.jp/products/detail.php?product_id=25611
アキバblog記事
http://blog.livedoor.jp/geek/archives/51507188.html

ベーカリー探訪を見て、実際の店舗に出向いて楽しんでくれたら最高です。

20:16

c88新刊情報 制服の幾何学、神戸屋さんスケッチブック

2015.08.15


おしながき

コミケ参加日の前日に更新です。今回、新刊が二種あります。幾何学と制服折りたたみについての科学フェチ読本(いつもの)と、神戸屋さんスケッチをまとめたフルカラー冊子です。

「制服の幾何学」

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20p
今回は数学?いいえ具体性の高い幾何学で、場合によっては図学と呼ばれるような領域です。(数学って恐れ多くて呼べない)
制服は、糸を紡いで、布を織って、切り繋いで折りたたんで作られています。その過程をヒツジさんの毛刈り体験からはじめ、布を作り、布がふくらみを持った女子の体にどのようにフィットしていくのかを追っていきます。立体縫製や折りたたみの神秘を、幾何学的な問題として考えていくと同時に、ブラの立体感やビキニのトップが平面になるための工夫について紹介します。また、これらの方法は折り紙という極めて深い関係性があり、近年の「曲線折り紙」という魔法のような手法とともに紹介します。そしてこの曲線折り紙は、制服のプリーツスカートにも含まれていることを紹介し、その美しさと簡潔さについて皆さんと共有できたらと思っています。

(数学、というのは恐れ多くて言えません)

「ふっくらやわらか素敵なベーカリー探訪 ~夢見るパンに胸ふくらませて~」

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16p全フルカラー

わたしのtwitterをご覧の方はご存知かもしれません、ときどき出先でスケッチしては絵をアップしています。そのなかでも特に好んで描くのが神戸屋さん。それをまとめようなんて考えたことがなかったのです5月のコミティアで冗談半分でコピー誌(というかほんとにカラーコピーしただけ)にして出したら好評だったので、改めて冊子にすることにしました。
ふっくらやわらか夢見るパンに胸ふくらませた神戸屋さんスケッチブックです。

スペース情報

8月16日:東1ホール:コ-51a
サークルカット

23:26

赤ちゃんと遊びつつ人類を思う

2015.06.09

生まれたばかりの赤ちゃんとコミュニケーションをしていて、その普遍性に思いを馳せていた。赤ちゃんは言葉は話せないし、そもそも、コミュニケーションの取り方すらよくわからない。大人が情報交換するときの「文法」を知らないからだ。
 そんな赤ちゃんであるけども、親子でコミュニケーションができる。泣いたり穏やかだったり、それだけなんだけど、赤ちゃんの感情を読み解いて理解して、適切な対応をしてあげようとする親の心に、なにかルールが組み込まれているようなのだ。

 おそらくそれは遺伝的に受け継がれている「文法」で、泣き声の音色やアクセント、タイミングなどに手がかりがあるのだと思う。そしてその文法は、世界中の言語も文化も外見も異なる人類みんなで共通なのだろうと思う。人々は分かり合える、という主張があるのだとしたら、その根拠の一つは赤ちゃんと親のコミュニケーションが同じだからというのがあるかもしれない。
 本能的な感情、報酬や嫌悪は人類に共通だと思う。だけど、三大欲求を考えてみても、それが世界や過去と未来で共通だったかというと疑わしい。ご飯を食べて美味しいというのは、調理法の進化や安全性、野山や自然をコントロールした今が昔と同じとはとても思えない。住宅や睡眠も同様に大きく様変わりしている。恋愛や性欲は社会的文化的影響が極めて大きく、言うまでもなく人類共通ではない。
 赤ちゃんとのやりとりで、どのような行動を取るかというのは、たしかに文化によって異なるかもしれない。外国で子育てをした体験記を読むとそれが如実に書かれている。それでも、泣いた赤ちゃんに注意が向くこと、母乳を与えて、それがうまく与えられなかったりして母子ともにクスンクスンしたりするのは、時代を超えて共通の体験なんだろうと思う。

 そう。今現代を生きている世界中の人々というだけでなく、過去にさかのぼって、人類の文明の記録が残っている数万年の範囲を考えても、おそらく赤ちゃんとのコミュニケーション文法は同じだったと思う。はるか昔の人がどのような暮らしをしていたか想像もできないけれど、洞穴や木の上で暮らしてたころも、赤ちゃんはきっと同じ泣き方をしていたと思う。いわゆる原始人のような暮らしをしていた大人たちに、今もし会うことができたとしても、コミュニケーションを取れる自信はないけれど、きっと赤ちゃんの泣き方は同じだし、それに対する大人の感情やリアクションは似ているんじゃないかなあと思うと、人類の歴史や世界中に一体感を感じられて、少し心地よい。
 人類は文字を発明してたかだか1万年程度で、それなのに脳の機能構造を変えてしまうぐらいの強い教育バイアスがあって、そしてその文字でのやりとりが苦手な私は毎日のように泣かされている。文字が無かった時代のコミュニケーションはもっと単純で、本能的で、双方向で、リッチなものであったのだろうなあと思うけど、それを想像したところで現在の自分の生活を変えることもできない。ところが、赤ちゃんとのやりとりはそれを実体験させるものだった。

 初めて子どもができると人生観が変わるよ、生まれた瞬間に何かスイッチが入るよ、なんて話を聞いていて、だけども自分の場合初めて赤ちゃんに会ったときも、別にまあ、そこまでの衝撃はなかった。かわいいね、弱々しいね、何かしてあげなきゃね、というどちらかと言えば第三者的な感覚だった。というか実際は、想像以上に大きくて驚いたとか、血液や体脂がついているんだなあとかディテールの記憶のほうが多かった。
 人類に共通、といってもそれは赤ちゃん側に立って考えた場合であって、親の立場となって子とのやりとりを体験できた人は限られた人だ。少子化、晩婚化、生涯未婚で過ごす人が一般的になった現代。あるいはひょっとしたら、婚姻率・子持ち率が高かったというのはここ最近100年ぐらいの話で、人類の歴史上それほど高くないものなのかもしれない。すると、子どもを持って体験できるというのは、人類共通の体験というにしてはずいぶんと限られたものなのかもしれない。子を持つ親の傲慢さというか、自信にあふれて周りが見えていない様子にこれまで辟易してきたことを思い出す。偶然結婚できて、たまたま子を授かっただけなのだから、あまり考えを一般化しないようにしたい。

この4月6日に、初めての子どもが生まれました。女の子です。

20:44