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練習、文章、好戦的な人種

2011.02.11

毎日メールやらtwitterやらマニュアル作りやら、細切れの文章は書いているのだけど、まとまった量の文章を書かなくなっていた。しばらく文章を書かないでいると、頭がぼんやりするようになるし、実際に今ぼんやりしている実感があるので、サイトで文章を書こうと思う。なので以下に書く文章は単なるキーボード文字入力の練習なので心配しないでください。

文章を書く。そのためにまず情報を頭の中にため込む。情報は頭の中で同時的に空間的に漂っている感じなのだけど、これを文章にして伝えるというのは空間的に配置されている情報をシーケンシャルに一次元に並べ替えて、時間とともに紡ぎ出すような変換作業に近い。言うなればフーリエ変換だ。フーリエ変換はとても計算コストの高い処理つまり頭を働かせなければならないのだけど、実は高速なフーリエ変換という技術もある。それは多くの一時記憶領域を必要とするのだけど計算はべらぼうに速い。だから頭の中でのワーキングメモリの容量拡大とメモリアクセスが高速化すれば文章を書くのも早く楽になるのだろうかなあなどと妄想した。

文章というのは基本的に攻撃的な性質を持っていて、相手が自分と敵対していたり信用していない時に、それでも相手を説き伏せるために使う道具という性質がある。だからこそ私は、長い文章を書く人は基本的に攻撃的な性格なのだろうなあと思うようになってしまった。

図と簡潔な文章で伝えるような表現、パワーポイントのスライドやマンガのような表現はそれとは異なり、基本的に相手が仲間であったり理解しようとしてくれていたりするときに有効な手段、効率的な手法であって、相手を説き伏せるときにはあまり強く働かない。わたしはそんな図解表現が大好きで、その可能性を信じてきたけれど、その信念が今、揺らいでる。

自分は好戦的な性格ではないし、これまでの人生で敵対したり勝敗ごとだったりそんな経験をほとんそしないで済んできた、言うなれば平和ぼけだったからか想像もできなかったけど、じつは社会に必要とされているのは攻撃ができる武器であって、癒し系キャラではない。癒し系としてペットや子供や老人のような生活は可能だろうけどそれは、誰かに養って貰うことを前提にしている。誰かを助けられるぐらい強い人間になりたい、と思ってもうすぐ二年。強くなるためには何が必要か常に考えさせられる。

そこそこの量の文章を読むことは頻繁にあるけど、読んだ後に思うのは、もっと簡単に簡潔に言えるのになあ、だ。でもそれは私は仲間に向けて発言することを無意識に想定しているからで、敵に対して説得するためにはどうしても量が必要になる部分の存在意義に気づいていないだろうと思う。

それはそれとして

短い文章もtwitterじゃなくてこっちのサイトで書くようにしたいなあと思う。

01:09 [Comment:4]

comment

非公開 2011.02.13-22:06 Edit

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ko-wa 2011.02.13-23:36 Edit

冒頭に「キーボードの入力の練習」と書くのはいくら何でも卑怯という感じでしたね。

ここでいう言葉というのは、書き言葉のことなのですが、日本語の場合、書き言葉は口に出して読み上げると厳しい口調に感じられます。それが短絡的に文字書きイコール攻撃的という私の思い込みに繋がったのかもしれません。

str 2011.02.16-00:51 Edit

こんなことで書くのを止めずに、むしろどんどんチャレンジしたほうが、ファンの一人としていろいろ楽しいし、ぜひ続けていただけると更新も増えて嬉しいです。

コブヘー 2011.03.22-07:25 Edit

アピールで強いのは図解でフレンドリーを装いつつ、説明は攻撃的なプレゼンですね。
プレゼン力ある人は怖いです最近。
結論がとんでもないところに。
長い文章は正対して受け止めてもらえる反面、身構えられてしまいますが、プレゼンは不意にブスリと突かれるような感じで。