http://ftmm.jpn.org/circle/0805_MBF_h1.jpg
合同誌について
「(We are) 真夜中のマイベストフレンズ」
http://yurimun.info/echa.html
詳細はリンク先に書かれてあるとおり、アイマス絵チャットの何人かで合同誌を作りました。
私は、表紙と本文1pを寄稿しています。
イベントでは私のスペースで頒布予定ですので、ぜひ。
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絵、とくに印刷解像度でのカラー絵なんですが。
描き上がってしまえば、なんだかかわいいし、達成感もあって、良い記憶ばかりが残る。
ある意味、幸せな性格をしているのだけど、描き始めるときはいつも辛い・・。
描きたいなと思っているイメージは、ライトな厚塗りみたいな感じ。だけど、そのように塗りたい場合、どのような手順を踏んだらいいのか想像ができない。結局はいつも慣れている通り、線画スタートで、丁寧にペン入れなりクリンナップをして、線を閉じて、領域を切って・・・。一般的なギャルゲ塗りプロトコールとしては当然の作業なのだろうけど、この作業が最初のイメージの絵の方向性と、どんどん離れていってしまうようで、作業が辛くなる。作業に対する不信感がつのると、手が止まってしまう。
下書きのラフ絵から線画にクリンナップする段階で、かなりの情報の欠損が起きるので、それを防ぐために、より正確な線画が必要になる。アタリの線による立体感とか、重なって隠れる髪の毛の流れとか、陰影のイメージとか。ここでもストレスが掛かる。今引いている線は適当でいいのか、あるいはクリティカルなのか。塗りの段階で、どんな情報が必要になるのか、どんな情報はどうでもよいのか、塗るまで分からない。でも塗るときの自分の経験は、なぜだか線画を描く自分にフィードバックされてこない。
カラー絵をこなす経験が少ないんだよ、とは分かっていても、少ない経験からでも最大限に成長したいって思うじゃないか。
だから最近は疑問に思ったことを文章に書きとめていて、塗りの段階でそれに答えるような文章を書いたりする。思ったことの数パーセントぐらいでも文章に落とすことができればなあと思うのだけど、言葉に落とせないことが、あまりも多すぎて、後日参考になるのは微々たるもの。
例えば、最近感じているのは、こんなこと。
形はシンプルで良くて、でも、正確である必要がある。
円盤とか正方形とか、パースや構造の手がかりになるような形状を好んで使うべきで、そして正しく描く。
カシャカシャ線を描くのではなくて、デフォルメをする、っていう感じなのかなあ、うーん。
線画で完成を目指す場合には、例えば光の効果を反映した線の省略や、ディテールだとか、ペンの強弱による前後関係、物体が接しているか離れているかの表現だとか、そんなのが良い結果を生むけど、カラーで表現する場合は、それらは色の階調で表現するべきであって、線画による効果はノイズになる・・?
こんなドキュメントで、次、参考になるんだろうか。
今回は時間の都合もあってアニメ塗りで完了。線画は比較的得意な自分としては、こっちの方が早くて見栄えも良くて、後から色や階調の調整も容易なので、合理的に考えれば、これでよいのだけど。
塗りは、たんなるお化粧、みたいな感覚として割り切るべきなのだろうか。それとも塗りの階調や色彩こそ、描きたい感情とかを載せるメディアであるのだ、と挑戦すべきなのだろうか。とか悩みながら。
自分が絵を描く動機や目的を再確認してかないと、なあ。
客観的に考えれば理想的なプロトコールは、線画ラフから、おおざっぱに色を塗って、塗りながら形状を整えていって、大きなところから始めて、細かなところに塗りと描きの作業を突き詰めていくような、そんな作業。でも一体、どんなアプリのどんなツールで、どんなレイヤー構造で、やればいいのだろう。
個人的には、早く描くこと、も良い絵を描くために必要で、そして、全体の見通しを持って作業が進められるようなのがいい。
全体というと、絵の空間的な部分と全体の問題があるけど、いまのところ、
800x600ぐらいのピクセル数が、全体と部分を把握しながら作業できる限界のような感じかなあ。今回の絵で言うのなら、背景のチビキャラ達がそのくらいの大きさ。
ドット数じゃなくて、最終的な出力サイズが問題なのかもしれないけど。
(毎回、絵を描くたびにこういう文章書いている気がするな)
ラック・ラック 2008.04.29-02:48 Edit
絵茶合同本らしい、楽しげで良い表紙だと思います。
セル塗り珍しいですね。
さぁ、とりあえずレイヤー1をどかしてみようか。